marumaru_game’s blog

プログラミングとお絵描きの進捗を報告するためのブログです。ミニマム週一であげたい。

先週やったこと

今週分のブログ。

 

今日も簡単に先週やった勉強について書こうと思う。

今回は能と狂言の成り立ちについて。

 

もともと日本の芸能の源流は記紀神話の天の岩屋戸とか海幸彦、山幸彦からって考えられてるらしい。

天の岩屋戸ってのは、今までにもっと経緯はあるけど、

スサノオに怒ったアマテラスが引きこもっちゃって世界が真っ暗になった。他の神々はそれに対処すべく引きこもりの外で宴を開いて踊ったり盛り上がってアマテラスの気を引いた。それでアマテラスが外を覗いた瞬間外に引きずり出して、世界はまた明るくなりましたって話。

 

海幸彦と山幸彦の話は、

大前提として二人はそれぞれ獲物を取るための道具を持ってたんだけど、山幸彦が目立ってねだってお互いの道具を交換した。どっちもあんまり大した成果をあげることもできず、山幸彦に関しては釣り針をなくした。

自分の持ってた劔から何百もの釣針を作って謝るんだけどあの釣り針じゃなくちゃダメだって海幸彦は一向に許してくれない。

それで泣く泣くその釣り針を探しに言った。道中で助言を受けたのでそれ通り綿津見神(わたつみのかみ)のところに行った。

そこでその娘さんとお互い一目惚れに落ちて3年過ごす。釣り針の話をして綿津見神に、

釣り針を返す時には

 

ぼんやりする釣り針、慌てる釣り針、貧乏になる釣り針、愚かになる釣り針」っていう呪文をいうこと、

海幸彦が高いところに田んぼを作ったら山幸彦は低いところに、低いところなら高いところに作れってこと、

これで海幸彦が起こるようだったら潮満玉(しおみつたま・これ以前に準備済みの水を蓄えた宝玉)を使って懲らしめて、謝ったら潮乾玉(しおふるたま・水を吸収する宝玉)で助けなさいって言われた。

 

結局、釣り針は鯛の喉に刺さってて、言われた通りに海幸彦に返した。

するとまあ魚は釣れない米は出来ないでそりゃあ海幸彦カンカン。

そこで潮満玉を使って大量の水で謝るまで懲らしめて、潮乾玉で助けたて二人は仲直り。

めでたしめでたし。

 

…ってんん??て感じじゃない????笑

言い出しっぺが相手の大事な釣り針なくしといて許してくれないから開き直って許してくれるまで締め上げるみたいな…笑(極端)

まあ確かにそのままいられても埒あかないか〜…?笑

あ、芸能に関係あるのは潮満玉で海幸彦を溺れさせた時のことを踊ってる様子に見立てたことなんだけどね。

 

もちろん外来文化として色んなところからも影響を受けてる。

中国からは伎楽が伝えられたり、インドからはシルクロードを通って散楽が伝えられたり。散楽については火を吹く、刀飲むみたいなことも含んでいて、曲芸、マジック、滑稽な動き(物まね)とかをするから思ってるより結構動きが早い。

それでもこれが能とか狂言の源流だと言われている。

多少今の人が見やすいようにしてるかもだけど最近でも色々やってるみたいだね。

 

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で、こういうのは宮廷とか大寺院に伝わっていた。外来文化を扱えるっていう権威として扱われて、国の中央機関でも芸能者ができる。養成する部署がたんだけど、物によってはだんだん庶民にも流行るようになってくる。

その後宮廷の方では行道とか風流とかが出てきて、

民衆では田楽と猿楽が栄えるようになる。

 

こっちが田楽。

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これが舞台に上がってこうなる。

ちなみに、この使ってるのはびんざさらって言って、後ほど出てくるけどただの(?)「ささら」とは別物。

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こっちは猿楽。

なんかすごい伝統文化感がすごい(能って感じって言いたいだけ)

どっちも重要な伝統文化だけどね。

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で、この後猿楽はどんどん発展するんだけど、田楽は衰退していく。猿楽は鎌倉時代になると大寺社に保護されて、猿楽座が作られる。

 

猿楽は

近江猿楽っていうのと、

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大和猿楽っていうのに分かれる。

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で、ここでも枝分かれがあって、近江猿楽は室町時代ごろには成長が途絶えてしまって、大和猿楽が発展していく。

個人的には和製パレード感あって近江猿楽好きなんだけどなあ…。゚( ゚^∀^゚)゚。 

 

この猿楽、当時めっちゃ大流行してて「永長の大田楽」では見物用のの桟橋が崩落したらしい。

後、田楽といえば味噌田楽だよね。

芸能の田楽の中に「高足」っていうのがあって、それが串刺しにされた豆腐に似てるから田楽になったらしい。やっぱり繋がってたんだね。

 

大和猿楽は、今の源流である円満井(えんまい)、坂戸(さかど)、外山(とび)、結崎(ゆうざき)ってのが出来て、結崎から出てきたのがみんな知ってる観阿弥な訳だ。

「幽玄の能」を作り上げた観阿弥の才能は足利義満の目に止まって一層の庇護を受けることになる。

それで、その子世阿弥もまたすごかった。

世阿弥はなかなかの転落人生を遂げるんだけど、

もともとは足利義満の寵童(簡単にいうと身の回りの世話とか当時でいう女の子の代わりとか)だった。実は織田信長森蘭丸がいたようにさして珍しい話でもなく、むしろ当時はこれが美徳だったくらいの記事も見かけたくらいだから、調べれば結構出てくる。

まあとりあえず、彼はめっちゃ保護を受けてて大事にされてたってわけ。能の才能もすごいし、年が増して来て経験もいっぱい積んだら能の本もいっぱい書いた。

でも、それくらいの年になるとだんだん義満との関係が悪化。

能の第一人者をライバルにされるわ、あまりの転落ぶりに次男出家するわ、島流しにされるわ。結局没年も未詳。

 

とはいえ、それにも釣り合うくらいの業績も残してる。

今の能は今生きてる人間だけが出てくる現在能と、霊とか鬼とか出てくる夢幻能があって、夢幻能作ったのは世阿弥

 

たくさん出した本は「風姿花伝」とか「花鏡」が有名で、能役者の心得とか技術とか色々書いてある。

「申楽談議」っていうのは、出家してても父親の教えをおろそかにはしなかったってことで、出家した次男が世阿弥の言葉を書き溜めたもの。文中にも「世子」ってのが出てくるけどこれは世阿弥の敬称。

 

ええ息子や…

 

で、世阿弥時代には現在につながる觀世(結崎)、金春・こんぱる(円満井)、宝生(外山)、金剛(坂戸)の四座ができた。

戦国武将も能が大好きで自分が演じたりもした。江戸時代には金剛座の一人が一流派を立てることを認められるんだけど結局それも一代目だけで、二代目からは喜多って名乗るようになったからそこからは喜多流ができることになる。

 

能はざっくりと

シテ方

シテ(主役)・シテツレ(シテの付き添い系の役)・子方(シテの子供)・後見(衣装の乱れを直す、シテの代役)

ワキ方

ワキ(準主役)・ワキツレ(ワキの連れ添い系の役)

狂言方

囃子方

太鼓、太鼓、小鼓、笛の構成

衣装制作

面、仮髪、装束、小道具、被り物 等

って構成になってる。

どれもそれぞれ流儀ごとに決まりがあって厳格に受け継がれている。

元はワキ方狂言方囃子方を三役と言って、シテ方が専属の三役を持っていたけど明治維新で崩れた。

 

能は歴史的に権力者によって保護された背景があるから格式の高いものにしようとした。だから、「平家物語」とか「源氏物語」とかを題材にしたのうは古典文学の総合とも考えられてる。

ストーリー構成は

二幕構成が主で、

 

前半に旅人がある地でそのゆかりの人物にあう

→後半にその人物が夢の中に出て来て、昔あった悲しいことについて舞って夜明けとともに消える

 

っていうっていう構成。

講演内容も5つに分かれてて、

世の中がうまく収まってることを祝う「脇能物」、

武士たちが救いを求めて現世に現れる「修羅物」、

優美で美しい女性の恋に対する苦悩を描いた「鬘(かずら)物」、

何かを思いつめて乱れる様を表現する「狂い物」、

人間以外の鬼とか精霊とかが出てくる「切能物」。

全部まとめて「神男女狂鬼(しんなんにょきょうき)ともいう。

 

能舞台についても調べたんだけど、気になったのは舞台奥の壁に書かれた松の木。

学校の鑑賞会とかテレビとかで一回ぐらいは見たことあるんじゃないかと思うけど、あれってもともと春日大社の「影向の松」っていうのが元になってるらしい。これって神仏の依り代なんだって。松の木って神聖な物だったのか。

後、鏡の間っていうカラフルな幕で客席は見えない内側のことをいうんだけど、そこが待機スペースになってる。ここで準備したりするんだけど囃子方が楽器の準備することを「お調べ」っていうらしい。チューニングの和名かな。

 

 

ここからは狂言の起源についてだけど、

狂言南北朝時代の庶民的喜劇で成立年代未詳。即興的に演じられてたので、初期の頃のしっかりした台本はない。できたのは江戸時代から。能とは起源は違うけど関わりは深くて「能狂言」と言われることもしばしば。

 

キーワードは笑いで、滑稽な動きとかで楽しむことも多い。あと、狂言といえば「太郎冠者(たろうかじゃ)」って感じで、超代表的キャラクター。

基本的に主人大名に使える家来なんだけど、シナリオによって小賢しかったりしっかり者だったり性格は色々ある。でも、どんな状況でも生き抜くたくましさと愛嬌を持っている人。

 

ちな、下克上の時代になると成り上がりに失敗した人や保守的な考えの人を笑うような内容も増えたらしい。時代って恐ろしいな。。゚( ゚^∀^゚)゚。 

そもそもは仏像立てるとか、橋かけるとかの資金調達のために芸能を使っていて、その間能の間に狂言で笑いを取ることでその形態が整えられるようになった。

でも江戸時代に入るとオフィシャルな芸能になって、流派が確立されるようになる。

能の金春座から伝統的勢力が出ていたりする。あとは新興勢力と、幕府に認められてなかったけど頑張ってた勢力。

明治維新になって幕府の保護がなくなると、京都から東京に出たり一派が断絶したり流派の大幅な改変をしたりともう大変だったらしい。

けど、戦後になって、戦前よりも能より狂言に目が行くようになって現在に至る。

 

狂言でもジャンルが分かれてて、

 

狂言(福の神、百姓などの祝言

大名狂言(威張っている割に人のいい大名が主人公)

小名狂言(太郎冠者が主人公)

聟・女狂言(夫婦、新聟が主人公)

鬼・山伏狂言(鬼、山伏が主人公)

出家・座頭狂言(僧侶、佐藤が主人公)

狂言(その他のジャンル)

狂言(能の形式に準じて作られた特殊なもの)

 

など。

 

他にも芸能から来た芸能だけじゃなく、

宗教からきた芸能とか、武士によって出てきた芸能もある。

 

メイントピックだけ書くとそんな感じかな。

次は海外のことについて書こうかな〜。

 

 

軽く一枚かけたので追加。

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横顔久々だったから楽しかったなー

あとうちの子企画だから人様のキャラってのも新鮮だったし、褒めてもらえたから励みになりそう!

あと、背景が細かくなった()

地の色気にすればよかったな〜

あと、なんかこう垢抜けないんだよな〜〜

やっぱ色かな、色が単調だからかな…?

どうすれば変わるんだろう〜〜