記事一回消えたのでリベンジ。
おんなじ内容の記事書き終わって2時間半、ようやく終わるーーーって思って画像入れたらバグって全部記事消えた。
、、、、あ゛あ゛あああああああってなった。
悲しい。
書き直すけど当初より手抜きになるかも。笑
今回書きたかったのは先週やったこと。一週間に一回投稿するって決めたのに書けなかったから今週は二回書きたい。
んーで、先週は学校の課題で日本文化の学習と、、、お絵かきやった✌︎('ω'✌︎ )
前者は他にも課題はいくらかあったけど圧倒的に時間使ったから代表ってことで。
今回扱う日本文化は、
文字の導入によって文化が伝えられたのと、文字文化がだんだん国内で発展していったよっていうことがまとめ。
結構範囲広いけど飛鳥時代くらい。
早速だけど、文字の伝来について。
「日本では季節を細かく数えてなくて、春耕秋収によって大まかに時間を捉えていた」ってみんな大好き三国志の一国、魏の魏志に描いてあるんだよね。
それで、文字が入ってきた証拠としてあげられるのが稲荷山古墳の鉄剣。
あれ、全体映してると大体よく見えないことが多いけど、頭文字に「辛亥」って書いてある。つまり中国の文化を知ることができた人は5世紀末には文字を使って年が数えられたってことになる。
こんな感じで、文字を通して二十四節気、十干十二支と暦の数えかたや天文学が入ってきた。
漢字について、もともと中国語としてやってきた漢字を、もともとの「音」という性質と、日本人が自分たちに合うように意味をつけた「訓」で組み合わせて使うようになった。これが漢文訓読と呼ばれるようになる。
当時から朱筆を用いて訓点をつけるようになり、これには東大寺の点、興福寺の点、博士家の点といったように流派が生まれる。
このような日本人向けの改良が日本文の発展を促し、万葉集、古事記、風土記などが作られることになる。
この頃から加工職に富んでた日本、特色を感じる…
暦の数えかたに続いて色んな文化が入ってくることになる。特に律令制度がネック。
日本が律令制度に手をつけ始めたのは7、8世紀の頃。近江令とか浄御原令が最古とは言われてるけど実際に実行まで行ったのかははっきりしてない。
二つの違いはあまりないとされていて、大宝律令は養老律令の注釈書のおかげで残っている。
朝鮮地域が当時そのまま律令制度を導入していたのに対して、文字にとどまらず、ここでも日本は自分たち向けに改良している。と言っても論語でよく聞く「礼」が日本にはなかったからどうにもならなかったこともあるけど。
文字を書けたのが聖職者で、彼らが王様に従って文章を起こすことで地位を確保していたりした諸外国や、すでに文字の世俗化が進んでいた中国とは異なり、
日本で文字は外来文化だったため、既存宗教とは結びつかず、政治的権力の元に要請されることになった。
日本で当時外来文化を扱っていたのは
の三つ。
大学寮は儒学による官人育成、
玄蕃寮は尼、僧の管理を行なっていた。
大学寮での教育は、博士1人、助博士2人に対して400人の学生(がくしょう)の形態で、
漢字の読み書きと算数の後に明経と言って「論語」「孝経」の必修と選択科目を学ばせた。
それで、文字の発展の伴って、
みたいな勅撰(天皇の直接的命による)漢詩集がたくさん作られていったり、空海や菅原道真なんかが個人だけでもものすごい文学への貢献をする。
っていうことをもっと細かく肉付けした状態にしてたのが先々週。
先週やったことは次にまとめようかな〜。
で、お絵かき。
急に可愛い感じの描きかたしたくなって描いた。
ブログアイコンと同一人物。
こういうのすごい久々に描いたから楽しかったなー
後、塗り重ねって感じが強かったのも楽しかった。
発光ってこういう絵柄が一番似合うよね、
ちょっとレイヤー分け慣れてきたかもしれない。
髪の毛綺麗に描きたいな
影とハイライトの塗り分けもだし、ハイライトの周りの嫌い部分とかもかけるようになりたい。
ここでも日本文化ちっくな話するけど、昔の考え方だと武士って殺生の罪で死んでも修羅道に落ちて戦い続けなきゃいけないらしいね。
忠誠心とかいう美徳は加味されないのかなって思ったけど結局結果論なんかなー
こういう絵柄ってもっと背景充実させたほうが見たときに満足感上がるよなーって気がしたから背景とか物とかもっとかけるようになりたいなー!
後、今回はペンツール「指先」で動き出そうと思って
ブレさせてみた。
もっと大きさとか濃さとか使いこなしたいなあ。
体とか服とかの向きは気にするようにしたけど、「指先」でもっと表現できるようになりたい…
もともとはこんなの。
あと服のシワな。
くしゃくしゃな服になるのが嫌でそれなら少なくていいかって思って書いてないんだけど練習はしなきゃなー
とりあえず、
プログラミング、せねばーーーーーー!笑